第263回 【戦後70年、あのときの8月15日は?】
編集部:旧盆で夏休みの会社も多いようですが、今週の話題は?
横尾 :なんといっても、8月15日の「終戦記念日」でしょう。
「敗戦記念日」という人もいますけど。
負けたことを記憶し、二度と戦争はやらないと誓うためにですね。
編集部:戦後70年で、戦争を知っている人も少なくなりましたね。
横尾 :はい、ですから記憶を伝え次世代にバトンタッチしなければなりません。
そこで重要なのは、理屈ではない経験の話です。
例えば自分や自分の身内は、昭和20(1945)年の8月15日、
天皇の玉音放送をどこで聞いたのか、その日はどこで何をしていたのか、
という質問をみなさんにしてみたいですね。
編集部:当然70歳以下の人は生まれていないから、答えられないですね?
横尾 :はい、だから祖父母、父母、あるいは大叔父や大叔母、また叔父叔母、
あるいは親戚でもかまわないので、あのときはどうしていたのかを聞き、
パソコンにでも残しておくことが重要です。
編集部:それはよい考えかもしれません。
横尾 :まずボクのことから話します。
父母もみな死んでいますから話を聞いた記憶です。
父は兵隊で召集されたばかりで外地にでかける前、岡山で終戦を迎えた、
と聞きました。
母は祖父ともども杉並区の自宅で終戦を迎えたようです。
「戦争はもうこりごりだ」と言っていました。
父方の叔父(父の兄)3人は戦争で死んでいます。
階級は、歳が若く徴兵だったので下級の兵隊で、死んだのは南方です。
東京杉並出身者はみな当時の麻布連隊に入り、南方へ送られたと思います。
母方の大叔父(祖父の兄弟)は2人死んでいます。
こちらは年齢が上なのと職業軍人なので将校でした。
戦後シベリア抑留で死んだといわれています。
編集部:すると、わかっているだけでお身内の方5人が亡くなっているわけですね。
横尾 :そうです。
果たしてこのブログを読んでいただいているみなさんはいかがでしょうか?
ぜひ、ご自分のお身内の戦争話を聞いて、それを子どもや孫たちに伝えて
いただければと思います。
編集部:そこを原点にして戦争を考えようということですね?
横尾 :そうです。
集団的自衛権、海外平和協力法など心地よい言葉と、観念的な言葉遊びや
空疎な言葉が飛び交いますが、戦争をどう考えるのか、具体的に想像することが
大事です。
想像力やイメージが戦争を防ぐ手立てになります。
ぜひ「国」や「社会」や「国際的」という言葉にだまされないで、
自分の身内の8月15日や戦争に思いを馳せてほしいですね。

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▲ by weekly-yokoo | 2015-08-12 12:46 | 週刊!横尾和博とは? | Comments(0)