週刊!横尾和博
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編集後記 Vol.347

春爛漫な季節が到来ですね。新生活がスタートし様々な想いを胸に秘めているのではないでしょうか?そんな4月には過去にこんな事がありました。【巌流島の決闘】です。慶長十七年(1612年)4月13日、宮本武蔵と佐々木小次郎による船島での決闘があり、武蔵が小次郎を倒しました。佐々木小次郎の命日でもあります。
そんな佐々木小次郎ですが、実はその実在さえ危ぶまれる謎の人物であります。
いくつかの伝説がある中で、有力候補として現地に銅像が建てられている場所だけで3ケ所・・・福井県福井市浄教寺町、同じく越前市北坂下、山口県岩国市横山。
中には、近江(滋賀県)の戦国大名・六角義堅とその側室との間に生まれたご落胤説もあり、その場合は近江観音寺が生誕地、なんて事も言われています。
その中で、最も有力視されているのが浄教寺説です。それは、武蔵の伝記『二天記』に最も詳しく小次郎の事が書かれているからなのですが、その『二天記』自体が、武蔵の死後100年も経った後に弟子が書いた物なので、定かでは無いのかもしれません。しかも、武蔵本人が書いた『五輪書』には、小次郎は登場しません。
なので、たとえ実在の人物だったとしても、その姿は、完全に武蔵の引き立て役としての登場・・・。その『二天記』にはこう記されています。
越前・宇坂庄浄教寺村に生まれた小次郎は、同じ村の出身で中条流を極めた小太刀の名人・冨田勢源の弟子となります。しかし、小次郎は小太刀を教えてもらうというよりは、さらに小太刀のワザを磨きたい勢源の練習相手をさせられ、そのために本人は長い木刀を持って、常に稽古をさせられていました。
ところが、長身で体格も良かった小次郎は、師匠の相手をするうち、いつしか小次郎が師匠を稽古台にしてそのワザを習得し、師匠をしのぐ腕になってしまったのです。
「物干し竿」と称される長太刀を背負い、その流派を「巌流」と名付け、西国の名だたる剣客を打ち負かしつつの武者修行・・・いつしか、その名は一円に轟く事になったのです。
やがて、その名声を聞いた豊前・小倉藩30万石藩主・細川忠興に庇護される事となり、兵法指南役として仕える一方で、城下に巌流の道場も構えます。
そんな時に小倉にやって来たのが、かの宮本武蔵・・・とにかく名声が欲しい武蔵は、決闘を申し込み、藩主の許可を得ます。
かくして慶長十七年(1612年)4月13日、小倉の沖合に浮かぶ船島での決闘が行われるのです。あとは皆さんのご存知の通りです。しかしこれも本当なのかどうか・・・。まだまだ歴史が解明されていない中、いつの日か全てが明らかになる日は来るのでしょうか。楽しみです。


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  by weekly-yokoo | 2017-04-12 10:41 | 編集後記 | Comments(0)

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