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週刊!横尾和博
月刊!横尾和博

編集後記 Vol.72

最近どうも「幸せになる」という言葉に違和感を感じております。
みんながみんな、あまりにも当たり前に、「幸せ」を追い求め過ぎるというか、
「幸せ」という言葉を持ちあげすぎているような気がいたします。
それは、商業主義の時代に合って、モノを売るすべての企業がその購買目的を
「あなたが幸せになるために」というお題目を唱え続けているからでしょうか。
家を買うことも、携帯を買うことも、テレビを見ることも、本を読むことも、人と出会うこと、
結婚すること、子供を作ること・・・すべてが。
しかし、「幸せ」などというもをどう感じるかは、人それぞれであります。
「幸福論」ときけば、哲学的にはラッセル、宗教的にはヒルティだったりするのでしょうが、
椎名林檎の「幸福論」だってあります。
それなのに、みながみな同じ幸福を追いかけすぎる、いや追い掛けさせられすぎるゆえに
、余計な妬み嫉み恨みなどの不満も生まれるのではないでしょうか。
そうは、いっても日本人。他人と同じを良しとする美徳が強いだけに、
本記事で横尾先生がおっしゃっていたような、アメリカ隷属的になってしまうのでしょうが。
「ただ幸せになりたかっただけなのに・・・」は、よく映画や小説で見られる悲劇の主人公のセリフですが、これはもはや本末転倒な気もいたします。
「幸せ」という言葉に縛られ過ぎた故の、結果ばかりを追い求め過ぎた故の結末と言った感じです。本来「幸せ」は、気がついた時にそこにあるべきものであって、最初から追い求めるものではないと思うのです。
まずは自分に正しく生きる、それをもって結果として幸せがついてくる。
「幸せになりたい」という言葉は人を惑わす禁断の言葉・・・なのかもしれません。

  by weekly-yokoo | 2011-11-09 10:30 | 編集後記

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